山履歴

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変な本 2冊  



 

小学生のとき、クラスに「大谷くん」という子がいました。

彼はトンボを食べました。


胸の部分が好きなようで、ムネ肉とでもいうのか、
見た目シーチキン、味もそれを薄くした感じらしく、
もうちょっと味があるといいんだけどな、って言いながらよく食べてました。

当時、彼の顔が日に日に
トンボに似てきている気がしていたのは、懐かしい記憶。



ということで、街はラブラブXmasムードのこの時期、
そんなムードとは、完全逆行アゲインストな、変な本2冊、読みました。



●虫の味

タイトルどおり、虫、食べる話。

イナゴやハチノコなど比較的イメージしやすいものから、トンボ、ハエ、ゴキブリ、カマキリなど、えっ?うっ!ってものまで。

大谷君は当たっていた。
トンボは味がしないらしい。シオカラトンボは、塩辛くないらしい。
ミノムシのバター炒めは美味らしい。
カマキリはから揚げしたものの、著者の昔のあだ名「飢饉年のカマキリ」を思い出し食欲がなくなって食えなかったっていうオチまでありました。

そして、日本でも中国でもほか海外でも、虫は古くから薬用として活用されているようです。たとえば、ゴキブリは漢方薬として、肝硬変に効くらしい。

かっこいいのが、この本の最後の一文。「たいていの虫は火を通せば安全といえます。」

そうなのか。そして、それでしめるのか。
そういわれても自分、イナゴぐらいしか食べないと思います。

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●世界恐怖旅行

世界各国を旅して出会ったあぶない体験記。

若干大げさなところもあるけど、著者のユーモアセンス、楽しかった。ひまつぶしにどうぞ。
(但し、このセンスまったくムリな人いると思います)

表紙の人、ガンジス川の船頭さんで、この後、なにかの発作で気を失い、川の真ん中で著者は取り残されます。ほかの船に助けをもとめて無事対岸へ。この船頭さん、最後、サンダルを鼻に押し付けれれてその臭さで意識をとりもどすのでした。

http://amzn.to/eEJacQ

 
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『高熱隧道』 吉村昭 著  

『高熱隧道(こうねつずいどう)』 吉村昭 著
新潮社 1967年発行



読書の秋、黒部シリーズ第2弾。



こちらは、くろよんダムより、前の話。

さかのぼること20年、黒部川第三発電所の工事についての話。



なかなかおもしろかった。



2つの恐ろしさを感じました。



人の恐ろしさと、自然の恐ろしさ。



人の恐ろしさは、最後の最後ででてきます。鬼気迫るものがあります。主人公は、人がやっていい境界線に悩み怖れていたんだろうな。



主人公のその恐れは、自然の恐ろしさと関係しています。阿曽原仙人付近には高熱断層が走ってます。この熱のおかげで、現在、阿曽原や仙人では温泉にはいれるんですが。

工事は、高熱断層のため、なんと最高160度の熱をもつ岩盤の前で工事をします。それはもう凄まじい状況。ちなみに、私の通うジムのサウナは87度。私は、せいぜい7、8分です。



そして、自然の恐ろしさの二つ目、これが一番強烈。実際、自分が山のぼるときに知っておいたほうがいいこと。



泡雪崩(ほうなだれ)。



想像を大きく越える圧倒的な爆風。



「泡雪崩は、異常に発達した雪庇の傾斜に新雪が降った折に発生するもので、一般の底雪崩のように雪塊の落下ではなく、なだれる際に、新雪の雪の粒と粒の間の空気を異常なほど圧縮して落下するものである。そして突然障害物に激突すると、その圧縮された空気が大爆発を起こし、爆風は、音速の三倍毎秒1000m以上の速さを持つ可能性も生まれる・・・」

「発生の時刻もさまざまで、普通の底雪崩は気温の緩んでいる時刻に発生するのに、泡雪崩は気温の低下する暁方にも起こる。それも鳥の羽ばたきや野兎の跳躍などささいなことから大雪崩が起こるのだそうです。」



2007年の大晦日、4人の死者をだした槍平で起こった雪崩は、だれもがまさかこんなところで・・・と思ったものでしたが、あれも泡雪崩に近いものだったのでは、という説もあります。



自然を人間に合わすと、無理が生じる。
人間が自然にあわせる。
そうすれば、うまく流れる気がします。
人間は自然の一部ということか。
そして何より今まで知らなかったいろんな大事なことが学べるような気がします。





※『高熱隧道』=日本電力(現関西電力)黒部川第三発電所水路トンネル、欅平駅~軌道トンネル(現関西電力黒部専用鉄道)の工事現場や人間関係について、建設会社の現場土木技師の目を通じて描いた作品である。なお、同発電所は1936年着工、1940年工事完了という。日本電力は実在の会社であったが、各々の登場人物は架空の人物である。Wikipediaより。

※日電により開通された黒部鉄道は、1937年、宇奈月~欅平、開通。いまのトロッコ電車、黒部渓谷鉄道。

※黒部のパイオニア的登山家の冠松次郎が、鐘釣温泉から下ノ廊下核心部を抜けて平ノ小屋まで遡行、黒部渓谷の全貌を明らかにしたのが1925年、十字峡もこのとき発見。高熱隧道の話の10年以上前なので、ほぼ手付かずの黒部を見ていた。

『黒部の太陽』 木本正次 著  

『黒部の太陽』 木本正次 著

1964年 毎日新聞連載
加筆後2009年2月再刊 新潮社 新装版版





北アルプス真ん中にある黒部ダム。

登山中、その貯水湖で人造湖である大きな黒部湖を見かけたかたもいると思います。



黒部川第四発電所のダム、通称くろよんダムと当時よばれた黒部ダムは、1956年着工、1963年竣工。この本はその建設工事の苦闘を描いています。



当時の状況を知るのにはちょうどいい本だと思いました。

そして、大事業を成し遂げたのはすごい。もちろん、殉職されたかたのご冥福、お祈りします。また、自然を堪能できる機会を私達に作ってくれたのにも感謝。

なのですが、たんたんと話はすすみ、全体、偉業をたたえるトーン、正直、私は、ぴんときませんでした。その代わり、

「エネルギー」について考えるいいきっかけになりました。



今、水力発電は、再生可能エネルギーとして再評価されていると聞きます(注目は小水力発電のようですが)。
大量の労働力、お金、生態系破壊をもって造られた黒部ダムが、その稼動上、大きな問題もなく余力もあるのなら、もっと活用して今後の環境に優しいエネルギー創出の主力設備のひとつになるといいなと、素人考えですが、思いました。





それと別に、考えたこと。
この工事は高度経済成長期のなか、電気があれば産業は発達し、人々の暮らしももっと楽になる、豊かになるという名目で進められました。

いまはどうだろう。

私の個人的な感覚ですが、生活してて、もう十分便利・快適だと思ってます。

もう、そんなに、いろいろ、いりません。


たとえば、
自然に逆らい、エアコンつけすぎて具合悪くなるって、実はなんか変だと思ってます。



以上、勝手に思ったことを書きました。。。



※黒部ダムの最大出力は33万5千kWであり、年間発電量は約10億kWhになります。黒部川全体の年間の発電量は約31億kWh。この31億kWhは一般家庭で約100万戸が1年間に使用する電力量にあたります。(黒部ダム公式Webより)。

※2007年、日本の年間発電量は約1.2兆kWh。
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data1006.html

※火力発電と水力発電の比率は圧倒的に火力のほうが大。東京電力では1959年までは水力発電が中心で、水主火従の時代でした。現在は原子力発電も発電量が増えてきた。
http://www.tepco.co.jp/company/corp-com/annai/gaiyou/subwin10-j.html

『マッターホルン北壁』 小西政継 著  

 


『マッターホルン北壁』
(日本人冬季初登攀)
小西政継 著

2000年3月発行 山と渓谷社刊
(1968年2月発行の再出版)






なんかねー、
かっこいい。


かっこつけてないのに、かっこいい。


この攻撃的なスタイル、かっこいい。



そして、こんな攻撃的なのに、山に感謝の念を忘れないのがまたいい。

わかりやすく、自然で、受け入れられやすい考え方なので、リーダー的存在ってのも、うなずける。





小西政継

垂直が苦手な植村直己に岩登りの特訓をほどこし、グランドジョラス山頂まで植村を引っ張り挙げた人物。

野口健が、前にすると恐縮しすぎて意味なく謝ってしまうくらいの人物。


日本の登山界に大きな影響を与えた一人。




1938年生。アルプス3大北壁のうち2つの冬季日本人初登頂を成し遂げる(1967年マッターホルン北壁冬季第3登、1971年グランドジョラス北壁冬季第3登)。1996年マナスル登頂後、行方不明。






この本は、当時の日本の登山界に大きな影響を与えたようです。

マッターホルン北壁の話を通して、
アルピニストとして、●困難性の追求、●世界基準の必要性について強く語っています。

なにがすごいか。
登攀内容・レベルの高さ、未来への示唆、それらをしっかり文章化したこと、そして強烈な個性。

そして、小西政継は日本の登山界をリードしていくのでした。






気になるくだり

p134:垂直と烈風と寒気の北壁には生命もなければ匂いもない。ただあるのは冷厳な岩と氷だけだった。この中で小さな三つの生命が懸命に動いているのである。

p141.僕の北壁登攀の頂点は、北壁を抜けきって絶頂に立った時でもなければ、無事谷間に生還した時でもない。まさにこの瞬間だったのである…明日、頂上まであと400mの登攀は、歓喜へのアプローチとなるだろう。

p145.・・・山へなぜ登るのかとか、アルピニズムの固苦しい理論めいたことは、まだ一度も考えたことがない。・・・山とは金では絶対に買うことのできない偉大な体験と、一人の筋金入りの素晴らしい人間を作るところだ。未知なる山との厳しい試練の積み重ねの中で、人間は勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛えあげてゆくのである。登山とはただこれだけで僕には充分である。

p150.今、僕は絶頂にたたずんでいるというのに、勝ちとった勝利の喜びとか、感動などというものは不思議とわきあがってこなかった。・・・ただ、僕の心には長い間苦しみぬいた緊張感が少しずつ解きほぐれてゆくのを感じ、一つの大いなる荒仕事をなし終えることのできた充実感がただよっているだけであった。

p154.あれほど酷いしうちを受けた北壁でも、僕の心は山に対して感謝の念でいっぱいだった。僕の胸の中から二度と消えることのない冬の大北壁での冒険は、これからの長い人生における新しい出発点ともなるだろう。

p195.たとえ目標の山々の高度はどうであれ、登頂されていようが、第二登、三登であれ、頂に達するまでの内容がわれわれのアルピニズムを満足させてくれるものであるならばよいということである。容易な初登頂より困難な第二登のほうが、われわれにとってどんなに魅力的なことであろうか。

p217.まだまだ日本登山界にはやらねばならぬ未知なるものが山積しているではないか。3大北壁の登攀が終われば当然のこととして冬のアルプスそしてヒマラヤ、アンデス、アラスカの難峰へ、更に発展して8000m峰へのバリエーション・ルートへと大きな課題が残っているのである。

p217.日本登山界がこれからより困難を目指す時代へ発展してゆく最も重要なことは、日本のアルピニスト自身が国際的な大きな視野をもつことと、海外遠征に対する根本の組織的な問題の解決であろう。・・・ヨーロッパの金のある無しにかかわらず実力主義で厳選してゆく遠征と、・・・日本の実力のある無しにかかわらず大きな組織の力で選ばれる遠征

p219.自分の成しとげた一つの登攀を日本登山界の中のみで価値づけるのではなく、もう一歩前進して世界の登山界の中にあてはめてみることだ。・・・どれだけの価値のものであるかはっきりすることであろう。

『原郷への道』 山尾三省 著  

原郷への道

山尾三省 著
2003年刊

※文化ジャーナル鹿児島1992-1997年、生命の島1998-2001年連載



屋久島で、耕し、詩作し、祈る暮らしを続けた詩人、山尾三省氏。
その彼が、二つの地元紙に遺したエッセイです。

自分が大事にしていきたいもの、
それに近い内容がこの本には書かれている気がしました。

やさしくて、充実した、それでいて凛とした文体も読んでいて心地よいです。



前に進むことだけにとらわれているが、人はじつは帰る存在でもあり、回帰することで
人生はより豊饒化される。



図書館でほかにも山尾三省氏の本を何冊か借りてきたので、のんびり読みたいと思います。





p13
「椎の木肌に青の色を見ている時、僕の時は椎の木の時とほぼ同じ時にある。僕の時は・・・椎の木という時に吸収されていゆく。」


p159
「地域は地球に内包されている一方で、その反対にその内部に地球そのものを内包しているのだという思想である。

僕達はこれまで、学問や文化や思想というものを、いわばアメンバナ(地域名)から・・・Gagnep(学名)へと立ちのぼらせる一方向のみに重点を置いて作りあげてきた。

それはそれで大切なことであるが、地球即地域という方向性から明らかになることは、<ここに住み、ここに暮らす>というかけがえのない重要性であり、Gagnepから・・・アメンバナへと掘り深めてゆく、新しい学問や文化や思想の可能性である。」

 

『神々の山嶺』 夢枕獏 著  

神々の山嶺(かみがみのいただき)上・下巻
夢枕獏 著
1997年刊



年末年始に読みました。



これまた、好きな話でした。



人は、人生でいろんなものをかかえる。
そして、それらをかかえながら生きていく。

そんなテーマを、なんとも男くさいというか人間くさいというか
自分にとっては、共感できる書かれ方で表現されていました。




人とうまくやっていけない、孤高な登攀者、羽生丈二。
その異端ぶりはひどい。しかし、
最後は、最高にカッコイイ男に見えてきます。



漫画もよんでみよ




下巻p236
「何故、山に登る?
 ・・・そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。」

p407
何故、山にゆくのか。・・・それは、何故、人は生きるのかという問いと同じ・・・狂おしい。自分の身体の中にある狂おしいもののために、人は、山に登るのである。

p440
ああ ─── 
かなわない。
この巨大な空間。
圧倒的な距離感。
人間が、この自分が、この中でどのようにあがいてもかないっこない。
深町はそう思った。
絶望感ではない。
もっと根源的な、肉体の深い部分での認識であるような気がした。

p542
「・・・その人が死んだ時、いったい、何の途上であったのか、たぶんそのことこそが重要なのだと思います」 N・E・オデル



『神々の山嶺』は、フィクションだが、
羽生丈二のモデルは実在のアルピニスト森田勝。長谷川恒男にあたる人物もでてきて、実際のエピソードと重なる部分が多い。

『凍』 沢木耕太郎 著  


沢木耕太郎 著
2005年刊



結構、はまりました。
引き込まれました。

いままで読んだ山の本の中で、おもしろかった度は結構うえのほうです。



山野井泰史・妙子が、
2002年、ヒマラヤの難峰、ギャチュンカンに挑んだ記録、ノンフィクション。

ものすごーくレベルが高い話のようですw

8000m峰14座制覇や、7大陸最高峰制覇に、興味のない山野井氏。
では、なにに興味があるのか?





『美しいラインを描いて登る』





p30.
自分が登ることで壁に1本のラインが引かれる。
山野井にとっては、そのラインの美しさが何より大事なことであり、ギャチュンカンはまさにそうしたラインを引ける山のようだった。



かっこいい。

美学です。



内容は、壮絶です。

絶望的状況のなか、奇跡の登山行です。二人でなければ命はなかったでしょう。

美学をしっかりもった人間の生き様を感じられる内容です。






<山野井 泰史>
(やまのい やすし、1965年生) 、東京都出身
●1994年、チョ・オーユー南西壁(新ルート開拓。8000m峰をバリエーションルートからアルパインスタイルのソロで登頂、世界で4人目)
●2002年、ギャチュン・カン(エベレストと世界6番目に高いチョ・オーユーの間にある難峰7952m)北壁の登攀。その後、嵐と雪崩に巻き込まれるが、ベースキャンプまで驚異的な生還を果たす。凍傷により重症、泰史は左足5本・右手2本・左手3本だけに、妙子は左足2本だけに。
●2008年、自宅近くの奥多摩湖倉戸山登山道付近をジョギング中に熊に襲われ、顔などに重傷、右腕20針、顔面70針を縫う。

その後、いまは復帰、活動再開のようです↓
山野井通信、おもしろい
http://www.evernew.co.jp/outdoor/yasushi/yasushi4.htm



※主要登山史
●1953年、エベレスト初登頂、イギリス隊ヒラリーとテンジン
●1985年、7大陸最高峰登頂、ディック・バス(米)
●1986年、8000m級14座登頂(無酸素)、ラインホルト・メスナー(伊)

 

『落ちこぼれてエベレスト』 野口健 著  

落ちこぼれてエベレスト
野口健 著
1999年刊

去年読んだ本の感想を遅ればせながら。
これは確か10月か11月に読んだ本かな。



野口健、ストレートな人ですね。



清掃登山はじめ環境保護活動は、素晴らしい。

応援したい&自分でもできることを真似したいですね。



そして、スポンサーを重要視すること、これは、
自分の目標達成や周りにいい影響を与えるため、
ひとつの正しい選択だと思います。




野口健:7大陸最高峰最年少記録を達成。1999年、25歳で。

(▲欧州アルプス山脈モンブラン4808m)
▲アフリカ独立峰キリマンジャロ5895m
△オーストラリアコジアスコ2230m
▲南米アンデス山脈アコンカグア6960m
▲北米アラスカ山脈マッキンリー6194m
△南極ビンソン・マッシーフ4897m
△欧州エルブルース5642m
▲アジアヒマラヤ山脈エベレスト8848m



ちなみに、7大陸最高峰といえば、栗城も気になります。

※栗城史多(くりきのぶかず、1982年生)。七大陸最高峰のうち現在6つを単独登頂済。2007年からはヒマラヤ山脈の8000m峰に無酸素で挑み、高所からスキー滑降。「冒険の共有」をテーマに山行中にインターネット生中継を実施している

『氷壁』 井上靖 著  

氷壁
井上靖 著
1957年刊



ドラマチックですね。
そして、人間って弱いなあって感じです。。。





p419
「静かなもんだな」いまさらのように上条信一が言った………その火の色を眼に浮かべていると、実験だの、新聞記事だのといったあらゆる下界の騒音が、ひどくくだらない愚劣なものに思えて来るのであった。


 ⇒ 確かに、この小説のなかでも、下界以外の部分は、すがすがしく入ってきた…




 

『青春を山に賭けて』 植村直己 著  

 
青春を山に賭けて
植村直己 著
1971年刊


お二人のマイミクさんに影響されて、
植村直己さん本、よみましました本



────────────
植村直巳

1941年生まれ。
日本人初のエベレスト登頂を含め、世界で始めて五大陸最高峰に登頂する。

▲欧州アルプス山脈モンブラン4810m
▲アフリカ独立峰キリマンジャロ5895m
▲南米アンデス山脈アコンカグア6962m
▲アジアヒマラヤ山脈エベレスト8848m
▲北米アラスカ山脈マッキンリー6194m


その後、北極圏1万2000キロの単独犬ぞり旅、北極点単独行、グリーンランド縦断に成功。
84年2月マッキンリー冬季単独登頂後、消息不明。

夢と勇気に満ちた生涯に国民栄誉賞授賞。
────────────



感想は…



とても気持ちイイ人だなと思いました。



感じがよくて憎めない人っていますよね、そんなタイプの最たる人なんだろうなと思いました。

それは、
まっすぐだから、

そして、一番は、
『感謝』を忘れない人だからだと思います。

のびのびしていて、読んでいて気持ちよかったです。





p285
今日まで25,6カ国をかけめぐったが、誰ひとりとして悪人はいなかった・・・単独登山とは、確かに自分ひとりでやるものであるが、周囲のたくさんの人々の協力をあおがなければ絶対にできないことだ。

 ⇒ 感謝の気持ちはいたるところででてきます。



p128
熱帯性高山植物の間から澄みきった氷河湖に映しだされた岩と氷の峰がながめられた。
「この世にこんなところが……」
(アフリカケニヤ山のふもとの湖で)

 ⇒ こんなセリフがでるような圧倒的光景を、死ぬまで少しでもたくさん見たいもんだ、ホント。

ちなみに、彼は、登山家という枠は超えていて、冒険家。

あと、5大陸の登山の中で、このアフリカの話が、個人的に1番好きです。自然のみならず、文化の違いがとても感じられるし、また、植村さん自身大きく成長した熱い山行だったんだろうなと感じました(いろいろ事件が起こります…)。


p132
人の意見もとうぜん重視しなければならないが、その意見にしたがってばかりいては何もできない。人にいわれてやめるのではなく、自分で実際に直面して肌で感じとり、それでもできないと思ったらやめ、できると思ったらやるべきではないか。
(キリマンジャロ登頂後)

巻末解説
「探検家にとって必要な資質は、臆病であることです」
(インタビュー中の、質問に対しての答え)

 ⇒ 一見、矛盾するような二つの発言だが、『自分で実際に直面して、自分で慎重に判断する』のが重要ということ。





フォト





 

『風雪のビヴァーク』 松濤明 著  


新編 風雪のビヴァーク
松濤明 著

山と渓谷社2000年刊
(私家版は1950刊)








孤高の人の北鎌尾根つながりで、

風雪のビヴァーク、読みました本



────────────
松濤明(まつなみ あきら)

1922年生まれ。14、5歳ですでにアルプス縦走や冬山単独行を経験、26歳北アルプスの北鎌尾根で遭難死するまで、数々の記録を残した名クライマー。

遭難時の克明に記した遺書は伝説となる。
────────────

解説では、彼のことをこう表現しています↓

18歳の南アルプス冬季大縦走で『加藤文太郎』と肩を並べ、さらに『植村直己』と『長谷川恒男』を足したような、水平にも垂直にも強い男。





感想は…



とにかく強い自分を持っている人だったんだなと衝撃

死ぬ間際に、

感謝の言葉残したり、輪廻の考え浮かんだり、借用リスト作ったり、それらかきとめたものをしっかり保管したり、

もし、自分だったら、ここまで果たして出来るのかなあ手(グー)


そして、
全編、淡々と書いているけど、その内容はものすごくハードな山行です。また、10代の頃の文章について。登山のみならず、10代の文章とはおもえぬ文才、まさに早熟。





で、
有名な遺書から抜粋
(北鎌尾根 千丈沢 四ノ沢出合)↓





全身硬ッテチカラナシ.
何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、
死ヲ決ス







我々ガ死ンデ
死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、
魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル、
個人ハカリノ姿 グルグルマワル







西糸ヤニ米代借リ、三升分、






以上、
ちょっと暗めな感じに思われるかもしれません。

が、しかし、読後の感覚としては、
なんとなく、美しいもの・純粋なものに触れた、
という感じ。

そんな本でしたぴかぴか(新しい)




フォト

『 劔岳 <点の記> 』 新田次郎 著  

 
劔岳 <点の記>
新田次郎 著
1977年刊




日本の山のほとんどは、測量隊によって初登頂がなされた



という話もあるくらい、実際、測量隊と山は、きっても切れない関係だったようです。それだけあって、その苦労は大変なものだったようです。

●その先は危険ってわかっている

ってのより、

●その先はどうなっているのか分からない

ってほうが恐いですもんね。
と同時に、ワクワクもする目がハート





ということで、
先週読んだ孤高の人の新田次郎つながりで…



『劔岳<点の記>』読みました本





読んだ後、
さわやかでした霧





リーダー、柴崎。カッコいいです。
自ら示す実行力・間違いのない判断力・みなを気遣う思いやり。

そして、
長次郎の愛すべきキャラクターが、いい!

山行に関して非常に高い能力・実績から、厚い信頼を寄せられる人物なんだけど、一方で、涙もろかったり興奮しやすかったりと、すごく人間くさいところ持っていて、いい味だしてます。



5ヶ月先ですが、6月の映画たのしみです。
浅野忠信けっこう好きなほうだし。








いい表現だったなとか、ここ印象的だったなとか、のメモ↓



p130
「何か手伝わせていただきたいわ私、でないと……」葉津よは小さい声で云った。「では裁縫道具でも揃えて貰おうか」

 ⇒ 山に持っていくのはすべて自ら用意する、を基本としつつ、妻には裁縫道具を揃えてもらう、っていうのは孤高の人と同じ。新田次郎のこだわりか。あと虫の知らせもよくでてくる。



p169
大日岳の頂がひときわ赤く輝きだすと、峰々はいっせいに夕映えの合唱を始めた。一瞬峰々は燃え上がり、そして突然それは消えた。空は紫色に変わり、やがて黒紫色に移り変わって行った。

 ⇒ 夕映えの合唱っていい表現。確かにこの間は、刻一刻と風景が変わっていく。



p228
長次郎はその考えを誰にも話したことはなかった。またその考え方を誰かが口にしたのを聞いたのでもなかった。

 ⇒ これについては、ところどころに出てくる。ワクワクさせるのうまいなーって感じ。



p262
計画に当たって柴崎が最も考慮を払ったのは人員の配分であった。木山、生田の二人の測夫をどのように動かすか、常用人夫たちをどう使うか…

 ⇒ 柴崎のリーダー資質の高さを感じるところ。まず、みんな自分より優れているところをもっている、という理解があり、それぞれの強みを活かしてみんなで成功しよう、っていうのって重要ね。



p281
間違いなく気圧は上昇していた…柴崎は興奮していた…
隣の天幕にいる人夫たちも全員が起き上がって、生田、長次郎、鶴次郎、金作が大雪渓を劔岳頂上めがけて登ると聞くと驚きの声を上げた。

 ⇒ ここらへんから当分手に汗握る。かっこいい。



p288

「気圧計です。気圧計の示度を一日に三回読み取ってグラフに記入しておきますと、その変化の傾向がつかめます。昨日の夕刻には気圧が急上昇しました。だから、高気圧が張り出して来て天気が一時的に恢復するのだなということが或る程度予想ができたのです。それだけではない。その裏付けとなったのは長次郎の勘ですね。」

 ⇒ データと経験値、それに尽きます。これまたかっこいいシーン。



p294
どの方向もすばらしい景観にあふれ、区々としては目を牽くものはなく、弾き返すような勢いで全体として迫っていた。なにか壮大な景観に圧倒されてめまいがしそうに思われた。誰もなにも云わなかった。四人は言葉を忘れたように風に吹かれていた…四人は四人とも別々のことを考えているようで、実はなにも考えていなかった。

 ⇒ そうそう、圧倒されると、実はなにも考えていなかったりする



p313
柴崎は目頭を曇らせた。競争相手であった山岳会が、実は劔岳登頂の意味を最もよく理解する味方であったことに泣けたのであった。

 ⇒ こういうの弱い。

『孤高の人』 新田次郎 著  

 
孤高の人
新田次郎 著
1969年刊








この3連休、のんびり読書してました本



何をよんでたかというと、実はまだ読んでいなかった…

新田次郎の「孤高の人」。



感想ひとことで言えば、
「なまなましい」なと。
山に対する考え方、単独山行、登山と仕事、登山と家族との関係、他人との関係…いろいろ考えるいいきっかけになりました。



とりあえず、
表現うまいなーとか、気になるなーってところを、メモ↓






p80
「…どうだい加藤君、春の山の色はおどるようにみえないかね。」
「おどるって形容はおかしいわ、ね加藤さん。もっとなんとかいい表わし方があるでしょう、たとえば陽のあたたかさに甘えたような緑だとか…」みかんを盆に盛ってきた外山三郎の妻の松枝がいった。

⇒ 外山夫妻の会話、緑の表現。緑っていってもホントいろんな緑があります、こんな緑も、あるある。



p162
これほど多くの山が、果てしもなく続いていたことに加藤はまず目をみはらねばならなかった。山だけの営みがかくばかり大きなスケールで存在していることが、加藤には不思議に思われてならなかった。

⇒ 主人公、初めての北アルプスにて。そう、北アルプスのあのスケール感ってなんなんだ。山だけの営み…って言い得て妙。



p400
その夕景は彼ひとりのものとしては美しすぎた。赤でも、桃色でも、他のいかなる色でもなかった。その色は、いま彼が見ているその瞬間だけのもので、過去においても将来においても再現できないと思われるような色だった。

⇒ 北アルプス横断、上ノ岳小屋から。ほんとその瞬間だけだよね、再現できん。



p409
彼が、そのような悪条件の天候の中で、道を間違えずに行けるのは、別な見地に立って見れば、彼がひとりだからということにもなる。彼はたよるべき相手がいなかった。あらゆることを彼の責任においてなさねばならないから、ひとつひとつのことが慎重になされるのであった。

⇒ 北アルプス横断、鷲羽岳頂上後。ひとつひとつ慎重に。命かかってるし。



p416
彼が動くと、彼の影も動いた。動くものといったら、その二つだけであるような、月の山稜にいることを、彼はしみじみとすばらしいことだと思った。

⇒ 北アルプス横断、烏帽子岳へ。よく自分も山中で思います、すばらしいなぁ、俺ぜいたくだなぁって。



下巻p120
所員たちは笑った。所員たちの笑い声を聞いて、加藤も声を出して笑った。笑いが終わってから、加藤はふと、声を出して笑ったことなど、ここしばらくはなかったことのように思った。照れ隠しに頭をかく癖も、このごろはあまりやったことはなかった。加藤は、ひどく楽しくなった。

⇒ 正月、富士観測所にて。心温まる、結構すきなシーン。



p214
…何故山に登るか…身体がなんとなく軽く、身体中の細胞がすべて生まれ変わったようなあの気持ちは山以外では得られないものだった。

人間は困難な立場に追い込まれれば、追い込まれるほど成長する。その困難な場を山に求めているのではないかということであった。その考え方は、苦行によって悟りを開こうとするバラモン教の僧と一部通ずるものがあったが、彼は、その行動を苦行だとは思っていなかった。自らの身体に鞭を当てて苦しめることではなく、むしろ自分の身を可愛がりながら、より困難なものへ攀じ登っていく姿を見つめていたかった。

⇒ 立山弘法小屋にて。山に登る理由、ここら辺の感覚近いです。とはいえ、直感的にいえば、単純に、気持ちいいから。



p258
「つまり、なんでもいいから一生懸命になれるものがあればいいってことではないでしょうか。自分の全身全霊をぶっつけていけるものがあれば、なにも山へなんか登らないでもいいってことでしょう」
「ちょっとちがうな。いやだいぶ違うな。君の山に対する解釈には偏見がありすぎる。山は、なにかの対象との比較の上に出されるものでは決してないんだ。山は山なんだ。山以外のなにものとも関連はないのだ。」

⇒ 傷心の宮村と、加藤の会話。最近、山は山なんだ、って気がします。



p363
眼前の薄い雲のベールが消えると、濃紺色の青空の中に巨大な白い尖峰が姿を見せた。白い尖峰はまぶしく輝いていた。ただ一様に白く輝く物体ではなく、氷の皮膜におおわれながらも、岩峰としての特色を、ところどころに露呈する岩にとどめながら、やはり、北アルプスの象徴としての、非情と絶美との交錯した荒々しい冷たい肌に、光と死のように暗い影を浮かばせていた。

⇒ クライマックスでの槍。確かに槍ってそんな危険な魅力をもっています…


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